Thunder Info ~さんだーいんふぉめーしょん~

アラサーになったSEの、吐き出し口。でも、みんなだってホンネはそうだよね。

非を認めず、真っすぐに謝れない人の心理について(西村大臣発言の件で思ったこと)

久しぶりの投稿ですー、雑記です。

西村大臣の発言

経済再生担当相の発言とその後の対応が話題だ。端的に言うと「緊急事態宣言下で、酒類の提供停止に応じない飲食店には 金融機関から圧力をかける」という旨の発言をし、炎上した。その後の謝罪の弁はTwitterにて

とのことだ。「趣旨を十分に伝えられず」ということは「認識は間違っていなかった」と言うことだ。 どこからどう聞いても、誤った認識による発言だったように思うが。

真っすぐに謝れない人たち

政治家や官僚、大企業の役員幹部など、謝罪シーンで真正面から謝罪できる人は少ない。「女性は話が長い」と発言した方の謝罪シーンも記憶に新しい。 こういった謝罪では、ほとんどの場合、「私の発言が誤解を招き」や「意図が伝わらなかった」などと、なぜか聞き手に落ち度があったかのように説明し、 形だけの謝罪をする。なぜ「私が間違っていた」と言えないのだろう。

誤りを認めることは、人生の終わり?

今の日本社会では一度自分の非を認めると、どこまでも追及され、二度と這い上がることは許されないのだろう。 学びなおす、やり直すチャンスを与えてもらえないのだ。1度ミスを犯した社員は出世の道が閉ざされる等の話はよく聞く。 そのような風潮の中で、正直に非を認め謝る人はいるだろうか。

しかし、もし誤っていたのならば、それを正直に認めてもらえないと、建設的な議論などできるはずがない。 つまり「何が間違っていて、どう直せばいいのか」が有耶無耶なままでは、社会や個人は改善や成長のチャンスを奪われてしまうのだ。

このような風潮でよいのだろうか

人や必ず間違え、失敗を犯す。そんな時に、もし仮に、正直に非を認め、反省し、すぐに改善できたならば、 その人は称賛され、称えられても良いと思う。チャンスをまた与えて良い。そんな社会はいつかやってくるだろうか。 それとも、これからも永遠に、不祥事のたびに胸糞の悪い謝罪会見を見せられ続けるのだろうか。