自分のアイデンティティを守ってくれた先生の話
小学校4年生の時、 どんな話の流れだったかは忘れてしまったが、ふと周囲のクラスメイトに 「自分はまだ50音表を完璧には覚えきれていない」という告白?をしてしまったことがあった。
ひらがなが書けなかったわけではない。 宿題になっていた漢字練習帳や日記帳はさぼりながらも、ほぼ毎日書いていたし、 国語のテストの点数も極端に悪かったことはなかった。
当時、自分自身も、自分が何を言いたいのかがうまく理解できていなかった。 でも感覚的に、あの表についてそれほど自信を持っていなかったことだけは確かだった。
一緒に話していた女子の数人には、笑われながら 「もう一回1年生からやり直したほうがいいよ!」とか 「先生、~くんってまだ、"あいうえお"も覚えてないんだって!」という感じでイジられた。
当時の感情をはっきりと思い出すことはできないのだけど、 何も言い返せず、かなり辱めを受けたような気がする。 (心の中では、「いや、俺だって"あいうえお"はわかってるよ。 でも五十音表を完璧にわかってるかといわれると答えるのは難しい」 と言いたかったと思う。)
「じゃあ、Kさんは 五十音表は完璧に覚えている?」 先生が急に話題に入ってきた。
俺をいじっていた女子の一人、Kは確か、レベルの高い学習塾に通っていて テストも100点連発の優等生だった。
「そんなのあたりまえじゃん。」とK。
先生「じゃあ、"ぬ"の右斜め上は何かな?」
Kと周りの女子「えっと・・・」
先生「じゃあ、"た"行の2つ手前の行は何行?」
Kと周りの女子「・・・」
先生「~くんは、そういうことを言っているんだよ。あいうえおが書けないわけじゃないんだよ。」
2つの感動があった。 1つは、自分の50音表に対するモヤモヤがまさにそれだったこと。(先生!それだよそれ!) もう1つは、自分の引っかかっていたところは、みんなにとっても難しいことだったこと。(なんだよ、お前らもできてねぇじゃねぇか!)
今日、とある光景を見てふと、 この場面を思い出させてもらったので、 忘れないうちにここに書いておいた。
今も変わらず、わからない場面では「うーん、なんでそうなるの?」とか 「自分の理解はこうなんだけど・・・ずれてる?」という風に、 日常生活でも周囲の流れに乗れず、立ち止まって考えることが多いのだけど、 そんな個性を恥ずかしげもなく発揮できているのは、先生のおかげかもしれないなぁ。 (あと、自分が引っかかったところって、他人は大体スルーしてるだけで、結構わかってなかったりする 笑)
おわり。
P.S. 今ははっきりと、50音表の何に引っかかっていたのかを自分の言葉で表現できます。 当時の先生の言っていたことと同じことですが、自分なりに表現すると ''' 「あ」からスタートしないと、50音表をすべて正しく書くことができない。 ''' ということですね。
大人になって、思考が深くなったのか、ボキャブラリが増えたのか ちゃんと、自分のわからないことを自分の言葉で表現できるようになったなぁ。
今でも50音表は完璧には覚えてはいません!笑